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名古屋高等裁判所 昭和37年(う)34号 判決

主文

原判決中、被告人天野拓夫、同田島貞男、同田村哲男、同鵜飼義夫、同高井昭吾、同二階堂憲之助に関する部分を破棄する。

被告人天野拓夫、同田島貞男、同田村哲男、同鵜飼義夫、同高井昭吾、同二階堂憲之助に対し、それぞれ刑を免除する。

被告人星川文次、同金洛賢の本件各控訴を棄却する。

理由

〈前略〉

一、検察官の控訴趣意第三(事実誤認の論旨)について。

所論の要旨は、原判決は、被告人らの行為のうち犯罪の構成要件に該当する客観的な外形事実については、おおむね公訴事実のとおり認めながら、本件犯行の事前計画性及び被告人らの行動の動機、目的、すなわち、被告人らが愛知大学内の情報収集のため、ひそかに学内に出入するスパイがあるとの風評を軽信し、当初からスパイを一斉襲撃して暴行脅迫を加える目的で、あらかじめ愛大中核自衛隊を組織し、反権力闘争の一環として、組織的な襲撃計画を協議し、そこで決定樹立された計画に基づき、各自覆面をし、各用意の棍棒、繩等を携え、周到な準備のもとに本件を敢行したものであるとの点を認めなかつたのは、これを裏付けるに足りるいわゆる二階堂文書をはじめ有力な証拠が存在するに拘わらず、これらの証拠を無視し、事案の真相に目をおおつたことによる事実誤認である。殊に、いわゆる二階堂文書こそは、本件犯行の際被告人らが所定の位置で見張りをしていたこと、各自覆面をし、棍棒、繩等を所持して制服警官に襲いかかつたことなど、本件犯行の客観的事実に多くの点で吻合する記載があることに徴しても、本件犯行の前記の如き事前計画性、目的性を極めて具体的に裏付ける最有力な証拠とすべきであるに拘わらず、原判決は何ら首肯するに足りる合理的根拠なくして右文書の証明力を否定し去るという判断の誤りを犯したものである、というのである。

よつて、本件記録を精査し、各証拠を仔細に吟味し、更に当審における事実調の結果を参酌して検討を加えるに、以下に詳説するとおり、結局所論主張の如き事前計画を肯認するに足る証拠はないものといわねばならない。すなわち、

(一)  二階堂文書の証明力について。

(1) いわゆる二階堂文書とは、当裁判所昭和三七年押第一四号の二五号の一ないし五の「A大チーム行動について」と題する五枚続きの文書を指称する。(以下単に二階堂文書と略称する。)更に詳しくいえば、愛知大学事件発生直後頃、被告人二階堂憲之助により、原稿紙に記載された計五枚の文書で、本文書にはNo.1、No.2、No.3の記載があり、まずNo.1には「A大チーム行動について」という見出しで四枚に亘りスパイを捕えてこれに対処する方策につき協議決定し、「A大中核自衛隊四チーム」を、大衆二名を含む一四名をもつて結成したこと及び同文書にいわゆるまたは「敵」(警察官の意味と解せられる。)との遭遇の状況とこれに対処した行動などにつき記載し、なお、右の三枚目の原稿紙には、その後半において項を改め、「自己批判」の見出しの記載(これは従前の文章とは脈絡はない。)があり、五枚目に鉛筆書きでNo.3として「統一戦線と隊」という見出しで、それ以後の情況を記載し、No.3の原稿紙の裏面に、No.2として、「伝令敵の包囲を突破」という見出しで、犯行直後の五月八日の状況を記載し、更に三枚目の原稿紙裏面には、鉛筆で「教授会での不法侵入としての意見の一致を見たが(細)の政策は」の文字で切れている未完の文章の記載があるほか、警察官の侵入経路の説明図らしきものが描かれている。

以上のとおり、二階堂文書には、その文中に「(細)」「」等の記号が用いられ、しかも形式的には全文書が首尾一貫した統一文章の体をなすものではなく、各項目別に順序も不同で独立し、しかも断片的な部分や文章の未完成の一部の如きものもあり、用語は一種独特のどぎつい表現語法が多く、文章必ずしも明瞭とはいえないが、要するに、愛知大学事件に関し「チーム」が如何にこれに対処したか、その行動、対策につき事後的報告の意図で書かれたメモまたは報告草案の如き断片性の文書と解せられる。

(2) 次に同文書を内容的に見ると、No.1「A大チーム行動について」の四枚についていえば、これも最初の三枚目と四枚目とは文章の脈絡は必ずしも一貫して辿れないが、記載の大要は、愛大細胞がスパイを捕えて、これに対処する方策につき協議し、中核自衛隊四チーム(一四名)を結成するに至つた経緯とその決定に基づき隊が現実に「敵」と闘つた行動の記述とより成り立つ。その前半部分において、スパイ対策が協議され、「四チーム一四名で編成され、二名の大衆が参加した」とあるは、愛知大学中核自衛隊四隊が大衆二名を含む一四名をもつて組織されたものの如くであるが、右一四名四チームの編成が具体的に各何名で構成され、各構成メンバーは誰々であるか、右構成員と本件被告人らとの関係はどうかなど、具体的なものは証拠に徴しても何一つ明らかではない。(田畠嘉雄、保正邦男の両名は永田啓恭から、大橋孝義は被告人二階堂憲之助から、宮本和彦は被告人田島貞男から、それぞれ本件当夜はじめて誘われて見張りに狩り出されたものであることが、証拠上認められるが、「大衆二名の参加」とは、一体誰を指称するか、この点も全く不明である。)

(3) 所論も、右二階堂文書五枚の全部に亘つて、その信憑力を主張するものではないとし、右文書中、No.1「A大チーム行動について」の日本共産党愛大細胞がスパイを捕えて、これに対処する方策につき協議し、計画を樹立した部分については、真実を曲げて記述することはあり得ないとする反面、その後半部分、すなわち中核自衛隊の行動報告部分については、隊が如何に「敵」に対し勇戦奮闘したかを上級機関等に認識させようとする意図で或る程度自画自賛的に誇張していることを指摘する。

そして、事実「一名の頭ガイ骨を三つ」(一名の警察官の頭部を三回殴る趣旨と解せられる。)「一名のは数名に取りかこまれてするどくうちのめされ、気絶状態に陥つた」などの記載や「T補導部長と協議のうえ敵の武ソー解除及び手帳を取り上げて大衆裁判にかけ」の記載(これは、当時の愛知大学補導部長玉井茂教授との間に、愛知大学事件当夜警察官の武装解除及びその所携の警察手帳を取り上げることにつき、被告人らとの協議がなされた趣旨に解し得るが、後記のとおり当夜の客観的事実に照らし、同教授がそのような協議に関与した事実はない。)など、ここには、かなりの誇張ないし歪曲が認められる。

しかし、このようなものものしい誇張表現や歪曲は、所論指摘部分に限らず、本文書の全体について、随所に認められるのであつて、例えば、「敵の武器に対しては吾々も武キを必要とする」「手当り次第最もガン強な棒切を用意する」「各チームは所定の陣地にタイキした」「草ムラに伏せて歩哨の任に当り」など至る所に本文書独特のどぎつい文飾ないしものものしい誇張的表現が窺われる。更にいえば、「A大中核自衛隊四チームの編成」なる言葉自体にも、同一筆法による二階堂的文飾の一面を認めざるを得ない。逆にいえば、このような二階堂式の、どぎつい文飾ないしものものしい誇張的表現或いは歪曲が本文書の特徴であり、ひいては右文書の性格を物語るものともいい得るのであつて、この見地よりすれば、いうところの中核自衛隊四チームによるスパイ一斉襲撃計画なるものも、その実体については、多分に右の如き二階堂式文飾による誇張表現ないし歪曲のあることを割引して考察する必要があるように思われる。

してみると、右文書No.1「A大チーム行動について」中、前半のスパイ対策としての一斉襲撃計画に関する限り真実のものとして信憑力ありとする所論は根拠がないものといわねばならない。

(4) 所論は、二階堂文書に、愛知大学に出入するスパイの風評を信じ、これに対する対策の協議及び愛知大学事件当夜における見張りの実施、覆面の用意や棍棒、繩の携行等大綱において客観的事実に吻合する多くの事実記載がある以上、その吻合する限度において二階堂文書の証明力はこれを否定し得ないというが、本件事件当夜、学生らが若江教授方を見張りに赴いた経過は、後記認定のとおりであつて、その点に関する行動の一部に二階堂文書の記載と吻合するものがあるとしても、そのことは、右文書が事後的、報告的記載メモであることからくる当然の事理であつて、所論指摘の如き吻合点の存在を根拠として、逆に二階堂文書そのものの前叙の性格を別異のものと解すべき理由とはなしがたい。

(二)  更に、二階堂文書を除いては、所論の如き事前の計画性、目的性を認めるに足りる証拠はない。

従つて、二階堂文書の証明力を否定した原判決の判断と、それに基づくこの点に関する認定は結局正当であつて、誤りはないといわねばならない。論旨は理由がない。

二天野弁護人の控訴趣意第一点(訴訟手続の法令違反―公訴棄却の申立)について。

所論は、要するに、原判決は原審弁護人の公訴棄却の申立を理由なきものとして却下したが、本件公訴の提起には、次の二点において、明らかに手続に違反する重大な瑕疵があり、速かに公訴を棄却すべきであつたに拘わらず、この点を看過した原判決には、訴訟手続の法令の解釈適用を誤つた違法がある。すなわち、

(一)  本件起訴状による公訴事実中には、

(イ) 「豊橋市警察署巡査内田初治、同遠藤正吾の両名が制服にて警ら中、挙動不審者を発見、職務質問をしたところ逃走したため、窃盗犯人と思料し追跡中見失いたるまま」と表示されているに止り、同巡査両名が右犯人とおぼしき者を見失つた時間的、場所的関係につき、何ら具体的な表示がなく、

(ロ) 右被告人らの共謀の点につき、「単に共謀のうえ」と表示されているに止り、その共謀の日時、場所及びその謀議をなした者の氏名につき、何ら明示するところなく、

(ハ) 殊に八十余箇所に亘り、文意明確を欠く箇所が存し、これにつき、逐一弁護人から検察官に対し釈明を求めたのであつて、

これらの点は、公訴事実の記載としては全く抽象的で、具体性を欠くものであり、刑訴法二五六条三項に規定するとおり、公訴事実は訴因を明示して記載すべく、訴因を明示するにはできる限り日時、場所及び方法をもつて特定すべきことが要求されているのであるから、上記各点は、同条項に違反すること明らかである。

(二)  公訴事実中には、刑訴法二五六条六項により裁判官に予断を生ぜしめる虞れある事項を記載することが禁止されているが、本件公訴事実中には、

(イ) 「偵察行動を開始し」

(ロ) 「一斉襲撃をなす事を協議し」

(ハ) 「中核自衛隊の結成につとめ……一四名をもつて愛知大学中核自衛隊四隊を組織し」

(ニ) 「情報収集者の帰路を迎えて之を襲撃し」

(ホ) 「武器として隊員はいずれも棍棒及び繩を用意し」

(ヘ) 「伝令、暗号、電池による緊急連絡の措置等細部に亘る襲撃実行計画を樹て」

(ト) 「学内数ケ所の攻撃地点及び待機位置を決定し」

(チ) 「両巡査に対し前記計画に基く襲撃を加えることを共謀し」

などの事項を記載し、右(イ)ないし(チ)は、いわゆる「二階堂文書」からの引用であつて、故意に裁判官に事件について「悪質かつ残忍」なものとの予断を与えるべく企図したものである。

以上の点において、本件公訴提起の手続には違法あることを免れず、これを看過した原判決は、破棄されるべきである、というのである。

よつて、まず右(一)の点について考察するに、刑訴法二五六条三項の趣意とするところは、起訴状に記載すべき公訴事実については訴因を明示すべく、訴因明示の方法としては、できる限り日時、場所及び方法などを記載し、罪となるべき事実を具体的に特定すべきことを定めたものであるから、起訴状記載の公訴事実中罪となるべき事実に属しない事項については、多少具体的な表示を欠く点が存しても、同条三項の規定の趣意に反するものとはいえず、所論引用の(イ)点は、まさにここにいう罪となるべき事実に属しない事項であるから、この意味で前同条項の規定の趣意に反するものではない。次に、前同(ロ)点についても、共謀のあつた事実と、それに基づく実行行為である当該犯罪の構成要件たる具体的事実が明示されている以上、共謀による共同正犯の訴因としては重要な内容が明示されているものといつてよく、日時、場所及びその謀議をなした者の氏名のすべてが表示されていなくても、それがため必ずしも訴因の明示に欠くる違法ありとはいえない。更に、前同(ハ)点についていえば、所論指摘の如き、文意明確を欠き、釈明を要する箇所が公訴事実中にあつたとしても、同箇所に関する検察官の釈明により、当該文意を明確になし得たものなる以上、訴因を特定するに支障を来たすものではなく、もはや訴因不特定、不明確のかどはないことに帰着する。

次に、前同所論(ニ)の点について考察するに、なるほど公訴事実中にある右所論指摘の(イ)ないし(チ)の表現は、いわゆる「二階堂文書」の記載文言からの引用であることは、所論のとおりであるが、前示各表現を、検察官の原審における釈明の趣旨並びに検察官側の主張立証の方針に照らして勘案すると、検察官としては、起訴状作成の段階では、その事前計画性の裏付けとしての主たる証拠である二階堂文書に即して右記載の文言を引用したことは、その段階においては、しばらく、それとして了解し得るところであつて、このことをもつて、検察官が故意に裁判官に犯行の悪質残忍性の予断を与えるべく、不必要な、または全く無用の誇張表現を使用したものとは認めがたく、未だもつて刑訴法二五六条六項の規定に違反するものとは認められない。原判決が、原審弁護人の公訴棄却の申立を容れなかつたことは正当であり、論旨は理由がない。

三天野弁護人の控訴趣意第二点、白井弁護人の控訴趣意第一点、脇坂弁護人の控訴趣意の二ないし四、被告人田島貞男の控訴趣意の一、被告人天野拓夫の控訴趣意第一、被告人鵜飼義夫の控訴趣意(以上いずれも事実誤認の論旨)について。

各所論は要するに、原判決は、その第四愛知大学事件発生に至る経過(ニ)「の豊橋市警察署勤務巡査内田初治、同遠藤正吾両名が愛知大学事件発生当夜同大学構内に立ち入つた顛末及び同巡査両名が右構内に立ち入つた後、同構内において、同大学学生と遭遇するに至つた迄の間における同巡査両名の行動」の項において、内田、遠藤両巡査が挙動不審者を追跡するため愛知大学北門から構内に入つたと認定したが、それは事実誤認も甚だしいものである、というのである。

よつて、原判決が、第四愛知大学事件発生に至る経過の(ニ)「豊橋警察署勤務巡査内田初治、同遠藤正吾の両名が愛知大学事件発生当夜同大学構内に立ち入つた顛末及び同巡査両名が右構内に立ち入つた後、同構内において、同大学学生と遭遇するに至つた迄の間における同巡査両名の行動」の項において、詳細に認定するところにつき、検討するに、右事実認定の証拠として原判決の挙示する内田初治、遠藤正吾両巡査の原審証人としての各公判調書における供述記載、右両巡査の検察官及び司法警察員に対する各供述調書によると、両巡査は、ともに捜査段階の当初より原審公判を通じて、不審者を追跡して愛知大学北門から同大学構内に立ち入つたとする点及び立入り後の行動の点については、その大綱において終始一貫して変らない供述をしていることが認められ、その前後の行動に関する詳細な供述と相まつて、形式的にはこの証拠を採つて前記両巡査が愛知大学構内に立ち入つた顛末に関する一連の事実につき、原判決のような認定も可能といえる。

おもうに、右両巡査の供述内容を全幅的に信用するか否かは、自由な心証形成の問題に属するが、原判決が右供述を採用して積極的認定に踏切つた実質的理由としては、記録に現われたすべての証拠を吟味比照してみても、原判示のように両巡査が北門から立ち入つたとするのが、少なくとも立入り可能な場所として考え得る他の如何なる場所を想定するよりも、最も自然で、矛盾が少なく、立入り場所としては最も可能性が大であること、その意味で、積極的認定に落着くに至つたことの合理性については、それとしてこれを首肯することができる。

ただ、この点は、所論も強調するとおり、原審以来最大の争点であつて、原判示認定に至る過程にいくつかの問題点が伏在しているのを看過し得ない。従つて、以下にのべるとおり、これらの問題点がすべて克服されるのでなければ、右認定の真実性に、合理的な疑問を容れる余地が全くないものとはいえないであろう。

すなわち、

(A)  内田、遠藤両巡査が、果して愛知大学北門から同大学構内に立ち入つたか否か、これを肯定するものは、北門から立ち入つたと称する両巡査本人のほかには誰もこれを裏付けるものはいない。また同大学構内立入り後の両巡査の行動についても、構内東南部の原判示位置で見張り中の同大学学生と遭遇するに至るまで、その途中の行動経過は、両巡査本人の供述するところを除いては、これまた他に一人の目撃者も存在しない。しかも、両巡査の供述する立入り目的と両巡査立入り後の行動との間には、その供述する所に従つても後記のとおり、相容れない点が、かなり認められる。

従つて、この点に関する限り、右認定の当否を左右するものは、原判決も、その証拠として挙示するところより明らかなとおり、一にかかつて両巡査の供述内容の信憑力如何にあるといい得る。

本件における両巡査の供述内容(原判決の挙示する原審証人遠藤正吾(昭和二七年八月一九日付、昭和三〇年五月三一日付、同年六月二日付、同年同月一六日付、同年同月二三日付、同年七月二一日付、同年八月一一日付、同年九月二二日付各公判調書中)の供述記載、同内田初治(昭和二七年八月二〇日付、同年九月四日付、昭和三一年四月一七日付、同年五月一五日付、同年六月五日付、同年六月一九日付、同年七月三日付、同年七月一〇日付、同年一〇月九日付、同年一〇月三〇日付、同年一一月一三日付、同年一一月二〇日付各公判調書中)の供述記載、遠藤正吾の司法警察員に対する昭和二七年五月八日付、同年五月九日付各供述調書、同人の検察官に対する昭和二七年五月一四日付、同年五月一六日付、同年五月一九日付各供述調書、内田初治の司法警察員に対する昭和二七年五月八日付供述調書、同人の検察官に対する同年五月九日付、同年五月一〇日付、同年五月一二日付、同年五月一四日付、同年五月一六日付、同年五月一九日付、同年六月一七日付各供述調書。)の以上の如き重要性にかんがみ、その信憑力につき、あらためて、ここに再検討が要請される所以である。

(B)  原判決認定の基礎となつた両巡査の供述内容自体に関する疑問。

(一) 不審者が覗くような格好をしていたという建物の位置関係の説明があいまいであること。例えば遠藤供述によると「愛知大学の北門を入つた左側の物置小屋のような家」(警調昭和二七年五月八日付、検調同年五月九日付)、「北門を入つたすぐ左側の建物」(証言同年八月一九日付)となり、内田供述によると、「北門を入つた左側の建物」(警調同年五月八日付)「門から入つてすぐ左手の物置か倉庫のような建物」(検調同年五月九日付)、「北門から三〇メートル位入つた左側の赤煉瓦の建物」(証言同年八月二〇日付)となる。

(二) 不審者を両巡査が見失つたとする地点があいまいであること。((一)及び(二)の点は後記の遠藤正吾に対する井村検事調書添付の新旧両図面に図示された位置関係の相違となつて現われている。後記新旧図面の相違点の項参照。)

(三) 両巡査とも大学構内の運動場を横切つた際の説明地点において、そこを通過したとすれば当然目に付かなければならない筈の野球用バックネットの存在に全く気付いていないこと。

(四) 両巡査とも構内東南部にある旧火薬庫を一巡したというが、原審証人安藤博、同下山登、同山本丁(各昭和二七年一〇月二四日付)の各供述によれば、その際柔道場(旧火薬庫三棟のうち、北側の一棟。)の室内に一〇〇ワットの電球三個がともり、道場の南北両側の開放されていた武者窓から電燈の光が室外に射し、(以上の点は他にこれをくつがえすべき証拠はない。)建物の周囲から当然これが目に入る筈であるのに、両巡査とも建物の周囲を回るとき、附近は暗かつたとして、これに気付いていないこと。

(五) 前記証人安藤博、同下山登、同山本丁の各供述に徴すると、愛知大学柔道部員下山登、同山本丁の両名は、本件当夜一〇時半頃練習を終り、他の部員はすべて風呂に出かけたが、両各とも足を捻挫していたため道場に残り、道場西側のところに蒲団を敷いて寝て他の部員が帰るまで読書していた。両巡査が旧火薬庫を一巡したと称する推定時刻は、ほぼ、山本、下山両名が道場に残り、他の部員が風呂に出かけていた間の時刻と思われるが、当夜他の部員が風呂から帰るまで、山本、下山の両名は、建物の周囲を何人かが歩き回る気配に気付いていないこと。

(六) 両巡査の供述(両供述とも、行動の細部に亘つて前後ことごとく一貫して不変という訳ではなく、また相互に必ずしもすべての点で一致している訳でもない。)に基づき、これを総合して原判決の認定するところによると、両巡査は、警らの途中、愛知大学北門の所にたたずむ黒つぽい人影を北門の手前で認めたこと、やがて人影は門内に入つたので、北門附近に至ると、北門から東南方約二〇メートル位入つた建物の北側に前記人影らしい者が立ち、同建物を覗き見しているように看取されたので、職務質問をする目的で「どなたですか」と声をかけると、その者は前記建物の西側を通り、同大学内部に向け逃走した。そこで、両巡査は、いよいよこれを訝かつたが、当時各地において警察官の大学構内立入りに関し種々紛争を惹起していた折柄であつたので、直ちに右人影を追つて愛知大学構内に立ち入ることを一旦躊躇し、その善後措置につき二、三話し合つた結果、右人影が警察官から誰何されながら逃走する以上、これを捕え、同人に対し、その事情を追及するなど職務質問をすることが警察官の職責上当然のことであると考え、同人に対し職務質問をする目的で同大学構内に立ち入るべきであると決し、北門より立ち入つたものとする。そこで起こる疑問は、大要次の如きものである。すなわち、

(イ) 当時の社会情勢を背景として、警察官の大学構内立入りがやかましい問題とされ、両巡査も各地に起こつていた学内立入りをめぐる学生と警察官との紛争のことを知つていたのであるから、両巡査とも制服警察官として大学構内への立入りには当然学生側の反発を予想し、相当の心理的抵抗を覚えた筈である。まして、その風姿の程も、さだかでない人影をちらつと見たのみで、或いは同大学の学生である可能性も考えられる段階で、職務質問のためこれを追跡して、敢えて学生側の反発の予想される学内立入りに踏み切るまでには、両巡査の気持としては、もつとこれに拘泥するのが自然ではあるまいか。すなわち、原判決が認定する程度の理由では、警察官としては、当時の社会情勢のもとに、学生の強い反発の予想される学内立入りを通常敢えて行わないのではないかとみることが、経験則上妥当な判断といえないであろうか。

(ロ) 仮に、両巡査が、右のような職務質問のための追跡として、意を決して敢えて大学構内に立ち入つたとしても、職務質問の対象たる人影自体が極めて漠然としてさだかでない「黒つぽい人影」に止る以上、北門附近から余り深入りせず、殊に、それを見失つた段階で直ちに引き返すか、或いは最寄りの大学側関係者に一言連絡のうえ引きあげるか、いずれかの措置に出るのが、紛争の種となつている学内立入り問題を念頭に置く場合の警察官として、一応予想される態度であると思われる。

原判決は、この点につき、両巡査の行動を、右不審な人影を捕えるため先を急ぎ、他に応援を求め、或いは大学側に警告するなどの措置に出る時間的、気分的余裕をもち得なかつたものと説明するが、折しも警察官の学内立入り問題が重大な紛争の種とされ、学生側の反発が予想されている矢先に、これを念頭に置いていたと見られる両巡査の行動としては納得しがたい。

しかるに、原判決の認定によると、両巡査の行動は、その後同大学運動場に出て、その附近で不審者の人影を見失つた後も、運動場を西北隅より東南に横切り、厩舎の北側を巡つて構内東南部に至り、木野村固方及び旧火薬庫建物三棟(柔道場に使用中の建物を含む。)の各周囲を一巡し、次いでその東側の土手に上り、土手伝いに南に赴き、更に西に向つて進み、事実上学園構内の大半をくまなく回つたことになるのであつて、現行犯人または緊急逮捕を要する犯人の追跡捜査と認め得べき要件ある場合は格別、原判決認定のように、両巡査の当初立入りの際の目的が単に職務質問の対象とした漠然たる人影に近づくためというのであれば、その目的とは、大きくかけはなれた行動というべく、そもそも、両巡査の当初の立入り目的が、果して原判決認定の如きものであり得たかどうか深い疑問が残る。このことは、内田、遠藤両巡査とも、本件当時警察官としての実務の経験が浅く、不慣れであつたことを考慮に容れても、依然として前記疑念は消えない。

(ハ) 更に、両巡査が学生と遭遇した際には、原判示第四の(三)「内田、遠藤両巡査が愛知大学事件当夜、同大学構内において、同大学学生と遭遇した際の状況」の項に認定の如く、見張りについていた原審相被告人田畠嘉雄を発見し、「腹でも痛いのか」「腹が痛ければ寮の方に連れて行つてあげようか」など発言し、不審者につき、何ら問いただすことをせず、人を追跡中の者とは思えない極めて悠長な態度であつたことに徴すると、当初より、果して追跡目的があつたのかどうかの疑問に再び逢着する。そして、これらの疑問点は、やがて、両巡査の北門立入りに関する供述内容の信憑力の根本に触れてくるように思われる。

C 林正平に対するパトロール申請工作について。

原原審証人林正平に対する昭和二八年六月一〇日付証人尋問調書によれば、愛知大学事件発生直後の昭和二七年五月八日頃(または五月二〇日頃のいずれかと認められる。)愛知大学事件捜査中、愛知大学構内所在のキリスト印刷株式会社支配人林正平は、豊橋市警察署福岡巡査派出所に呼び出され、警察官より同会社(林正平方)附近のパトロールを警察に依頼する趣旨の書面一通を提出されたい旨の依頼を受けたこと、その際、同書面に記載すべき日付を過去に遡らせることにつき話が出たこと、林正平としては、愛知大学事件が発生してから左様な一札を入れることは、自分の方にも、警察の方にも都合が悪いから、巡察そのものは当方で心要なのでお願いするが、依頼書一札を入れることはできないと答えた趣旨の経緯が認められる。

警察から林正平に対し、前記趣旨の依頼がなされた動機、目的は明らかでないが、いやしくも、愛知大学事件の捜査中であることを考慮に容れると、このことは、時期的に極めて不明朗なことといわねばならず、右のような経緯が愛知大学事件の捜査に関連があるなしに拘わらず、それ自体捜査の公正につきうんぬんされても弁解の余地なきところであろう。

D 遠藤正吾の検察官井村章に対する昭和二七年五月九日付及び同年五月一〇日付各供述調書と添付の図面について。

原審において提出された遠藤正吾の検察官井村章に対する昭和二七年五月九日付供述調書の記載によると、その内容は図面に基づいて説明しているものと思われるに拘わらず、図面が添付されていないこと、同年五月一〇日付遠藤正吾の井村検事に対する供述調書の記載によると、その内容はやはり図面に基づいて説明していると思われるが、同調書添付の図面は、同年五月九日作成と記入し、遠藤正吾の署名指印のあるものであること、しかも同図面中に表示された関係地点等の符合と同調書の内容に記載された符号とがその順序において明らかに相違していることが認められ、これは遠藤正吾が同年五月九日、一〇日両日井村検事から取調を受けた際説明の用に供した図面(本来右各調書に添付すべきもの)とは別個の図面であることを物語るものである。それならば、本来の図面の所在如何。また現に右調書に添付の図面は如何なる理由により、如何なる経路を辿つて、右調書に添付されるに至つたのか、この間の事情は全く不可解というほかはない。

更に、当審に至つて、検察官より証拠として、遠藤正吾の検察官井村章に対する昭和二七年五月九日付及び同年五月一〇日付各供述調書が提出されたが、この二通の調書は、各同日付の既に述べた原審提出の遠藤正吾の検察官井村章に対する供述調書と複写で作成され、従つて日付を同じくするもの同志は、記載内容をも同じくするものである。そして、当審提出の前記五月一〇日付井村検事調書には図面が添付されているが、原審提出の調書に添付の図面とは符号順序その他にかなりの相違がある反面、五月一〇日付並びに五月九日付各調書とも、その供述内容の説明に用いられた符号と順序その他すべてに亘つて照応し、これこそ本来の五月九日付及び五月一〇日付前同各調書の末尾に添付さるべかりし内容の図面であると推認される。

そこで、原審において提出されていた遠藤正吾の井村検事に対する昭和二七年五月一〇日付供述調書に添付の図面(以下旧図面と略称す)ると、当審に至つて提出された複写による前同井村検事調書に添付の図面(以下新図面と略称する。)とを比較し、その主要な相違点を検討するに、

(1) まず、形式上の点として、旧図面は愛知大学構内北門附近から、A、B、Cの符号記載の順序にはじまり、A地点不審者を質問した辺り、B地点不審者の立つていた辺り、C地点不審者を見失つた辺り、D地点最初に男が倒れていた所、E地点第二の男がいた所、F地点学生が立つていた所、G地点最初に包囲された辺り、H地点殴打された辺り、I地点柵を越えて脱出した辺り、となつている。これに対し、新図面では、A、BCの符号記載の順序が、遠藤巡査が学生に包囲された所からはじまり、A地点最初に包囲された所、B地点殴打された所、C地点柵を乗り越えて脱出した所、D地点賊を見失つた所、E地点最初に男が倒れていた所、F地点第二の男が倒れていた所、G地点学生が立つていた所、H地点点の不審者を質問した所、不審者がすき見していた所、と記載され、新図面の符号順序が前記調書の供述内容たる説明の符号と一致することすでに述べたとおりである。

(2) 次に、内容的に見ると、

(イ) 遠藤正吾が不審者が立つているのを見たという、いわゆる「物置小屋」の位置について、旧図面では愛知大学北門の南方やや東寄りの地点で、食堂と同一建物を区切つてその西側物置部分を図示し、独立した物置小屋の表示はない。これは、大体において実際の位置関係に合致する。新図面では食堂と記載された建物と外囲いとの間に「物置小屋」と表示して独立の建物を図示する。これは現地の実際とは合致しない。新図面では地点不審者がすき見していた所が明示してあり、矢印でその方向も図示されている。旧図面では地点及び矢印の表示はない。

(ロ) 遠藤正吾が不審者を追跡してこれを見失つた際の位置について、新旧両図面とも、不審者の逃走経路と方向を青の点線と矢印で図示しており、それは、両図とも翠嵐寮西側を南進して斜東進した地点を表示しているが、旧図面では矢印が厩舎と表示する辺りまで延びているのに反し、新図面ではD地点(賊を見失つた辺り)近くで終り、矢印は延びていない。両図面とも、運動場のバックネットを図示していない点は共通である。

(ハ) 南側の東西に並ぶ二棟の旧火薬庫の間にある区切(土手)につき、旧図面はこれを図示して実際に合致するに反し、新図面にはこの図示がない。旧図面には「旧火薬庫」の表示があり、新図面にはこれがない。

(ニ) 遠藤正吾が暴行を受けた後の脱出経路について、旧図面では一、二番教室と教室の間を通り、愛知大学本部の南方から脱出したと表示され、新図面では便所と一、二番教室の間を通り、一、二番教室の南方から脱出した旨の経路が表示されている。

(ホ) 旧図面では一、二番教室が二つに仕切つてあるのに、新図面では一、二番教室が三つに仕切つてある。旧図面では旧馬場の西に「植込」と表示し、新図面ではこれに当たる部分に「ホソバ」と表示されている。

以上の相違は要するに、全体として旧図面が新図面よりも、個々の図示部分につきやや正確さを加え、建物その他関係位置の実際の状況に合致する部分が多くなつているといえる。そしてこの相違点、特に北門立入りに関する部分のそれの評価如何は、右調書が本件に関する検察官捜査の出発点の段階に属するものの一つであるだけに、一面において遠藤正吾の供述全体の信憑性にかかわりをもつてくる。

以上のとおり、新図面の出現によつて遠藤正吾の検察官井村章に対する昭和二七年五月九日付、同月一〇日付各供述調書の内容は、一応明らかになつたとはいえるが、それなれば、何故本来添付さるべき新図面が、遠藤正吾の井村検事に対するすべての調書に添付されず、その代りに旧図面が添付されるに至つたのか。それは何らかの取扱上の過誤によるものなのか、或いはそうでない他の理由によるものなのか、仮に過誤によるとしても、何故にこのような過誤が起こり得たか、この点のなぞは依然として少しも解明されず、むしろ以上の如く明らかにされた新旧両図面の相違点を念頭に置くとき、事態は一層不可解の度を加えた感がある。この点は、昭和三一年三月二〇日付原審公判調書中証人井村章の供述記載、同年三月一三日付原審公判調書中証人居沢忠夫の供述記載、昭和三〇年六月一六日付、同年六月二三日付、同年七月二一日付、同年九月二二日付原審公判調書中証人遠藤正吾の供述記載に、当審における証人井村章に対する証人尋問調書の供述記載、証人居沢忠夫、同遠藤正吾の各証言を併せ考察しても、その間の具体的経緯は必ずしも明らかでないが、ほぼ次の事情の介在を推認することができる。すなわち、

一、本件捜査当初、警察または検察庁において、がり版刷による愛知大学構内建物配置図の如きものが用意され、関係人の取調に際し、所要事項を右図面に記入する方法により説明の用に充てられたこと。

二、内田、遠藤両名とも、警察署において、その頃関係人として取調を受ける際の必要上、複写による愛知大学事件に関する構内図を複数作成用意したと思われること。

三、遠藤、内田両名とも、図面作成にあたり或る程度互に話し合う機会をもつたこと。

四、検察庁における遠藤正吾の供述調書作成は、当該日付の日に必ずしも即日完成を見たものではないこと。少なくとも添付図面は即日調書に添付されたものでなく、場合によつては、取調の際説明の用に供された図面を一旦警察署に持ち帰り、清書して完成のうえ、翌日持参したことも考えられること。

いずれにせよ、以上の如き現象それ自体、本件捜査過程における関係人取調手続の杜撰さの一端を露呈するものであつて、それはやがて、この面からも間接的に、それら関係人に供述調書の信憑力そのものに微妙にひびくものなることを否み得ない。

以上のとおり、問題とした各点を個々に見れば、それ自体単独では、内田、遠藤両巡査の愛知大学構内への立入りの顛末に関する供述の信憑力を左右すべき決定的なものとはいえないとしても、内田、遠藤両名が、本件の被害者の立場にあると同時に、警察官として本件の捜査に従事する捜査官側に所属する者であるという特殊な立場にあることをも念頭に置いて考えるとき、前掲疑問点のすべて((C)及び(D)については、捜査官の本件捜査自体に対する疑惑に発するもので、必ずしも直接内田、遠藤両名の供述内容にふれるものではないが)を総合すると、内田、遠藤両名の供述に内在する前示弱点ないし疑問は依然として拭いがたく、というより、むしろ、より深い疑惑を生み、従つて、内田、遠藤両名の北門立入りの顛末に関する限り、右両名の供述を全幅的に信用して認定の資料に供することには、少なからざる躊躇を覚えざるを得ない。

以上の次第で、両巡査のこの部分に関する供述にして結局、措信できないものとすれば、もはや他にこれを認めるに足る証拠はなく、その証明なきことに帰せざるを得ない。してみると、原判示第四愛知大学事件発生に至る経過中、(二)「豊橋警察署勤務巡査内田初治、同遠藤正吾の両名が愛知大学事件発生当夜同大学構内に立ち入つた顛末及び同巡査両名が右構内に立ち入つた後、同構内において同大学学生と遭遇するに至つたまでの間における同巡査両名の行動」の項に認定された、右両巡査の同大学構内立入りの顛末及び同構内での行動に関する部分は、前掲信憑力なき内田、遠藤両名の供述の内容に依拠して認定されているのであるから、結局その証明がないことに帰し、従つて、両巡査の構内立入りの場所のみでなく、立入りの動機、目的も不明とせざるを得ず、このことは、ひいては両巡査の立入り行為及び立入り後の行動の職務性についても、また、これを認めるに由なきことに帰するほかないから、後記認定のとおり、原判示罪となるべき事実中、両巡査の適法な職務行為の存在を前提とした公務執行妨害罪の点に関する限り事実誤認があることに帰着し、右誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は、この点において破棄を免れない。

四、天野弁護人の控訴趣意第三点及び第四点、被告人田島貞男の控訴趣意の二及び三、(被告人天野拓夫の控訴趣意第三、(以上いずれも事実誤認)について。

天野弁護人の所論の要旨は、原判決第四の(三)内田、遠藤両巡査が、愛知大学事件当夜同大学構内において同大学学生らと遭遇した際の状況及び原判示第五罪となるべき事実(甲)愛知大学事件関係分の各項において認定した各事実は、全く内田、遠藤両巡査の供述のみに一方的に依拠して、認定された偏頗な認定であつて、事実誤認も甚だしい。殊に罪となるべき事実における被告人ら学生側の行動は、証拠により事案の真相を正当に把握すれば明白なように、原判示の如き暴行脅迫の事実はないばかりでなく、大学東南隅の土手を超えて学内に侵入して来た両巡査の不法侵入の現行犯をとがめて、これを逮捕したに過ぎないものであるというのであり、被告人田島貞男、同天野拓夫の各論旨は、原判示第五の罪となるべき事実(甲)の認定の誤りを主張するものである。

所論にかんがみ、この点に関し更に記録を精査し、各証拠を検討するに、原判決挙示の関係部分の証拠(原判決三三丁表以下)により原判示第四の(三)については、原判決のとおりその事実を優に認定することができ、また、原判示第五の罪となるべき事実のうち(甲)愛知大学事件関係分についても、原判決挙示の証拠によつて優にこれを認定することができるから、以上の外形的事実の誤認を主張する各論旨は理由がないものというべきであるが、右原判示の罪となるべき事実(甲)のうち、被告人が内田、遠藤両巡査に対し暴行脅迫を加えたことをもつて、右両名の公務の執行を妨害したとする点については、すでに前段認定のとおり、内田、遠藤両巡査の愛知大学構内立入りに際しての職務行為の立証がないことに帰するから、右両巡査の職務執行中なることを前提とする前同公務執行妨害罪成立の余地がなく、従つて、これを認めた原判示認定はこの部分に限り事実誤認があり、これは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点に関しては、論旨は理由があることに帰着する。

五、天野弁護人の控訴趣意第六点(被告人星川文次、同金洛賢に関する事実誤認の論旨)について。

所論は要するに、原判決は、原判示第五罪となるべき事実の(乙)被告人星川文次に対する分、(丙)被告人金洛賢に対する分の各項に記載のとおりの事実を認定したが、右被告人両名は、被告人二階堂憲之助が犯人として捜査官憲から、その所在の捜索をされている者なることの情を全く知らなかつたものであるから、被告人らの所為が本罪を構成しないことは明瞭であるのに、原判決は全く事実を誤認して、右被告人両名の犯罪を肯定するに至つたものである、というのである。

しかしながら、本件記録に徴し、関係証拠を検討しても、原判決挙示の関係証拠により、所論の知情の点をも含めて、原判示のとおり被告人星川文次、同金洛賢の各犯人蔵匿の事実は、優にこれを肯認し得るのであつて、原判決には所論の如き事実誤認のかどはない。論旨は理由がない。

以上の次第であるから、本件控訴中、被告人星川文次、同金洛賢の分については、いずれもその理由がないから、刑訴法三九六条に則り、これを棄却すべく、被告人天野拓夫、同田島貞男、同田村哲男、同鵜飼義夫、同高井昭吾、同二階堂憲之助に関する部分については、前記三に説示のとおり、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるから、その余の論旨に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条に則り、原判決中、被告人天野拓夫、同田島貞男、同田村哲男、同鵜飼義夫、同高井昭吾、同二階堂憲之助に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、公訴事実につき更に判決する。

第一事実関係。

(一) 被告人らの経歴。

被告人天野拓夫、同田島貞男、同田村哲男、同鵜飼義夫、同高井昭吾、同二階堂憲之助の各経歴については、、原判示第三被告人らの経歴欄中、前同被告人ら六名についての各経歴につき、それぞれ記載するとおりであるから、これらを、ここに引用する。

(二) 愛知大学事件発生に至る経過。

(1) 愛知大学の状況。

愛知大学においては、その一部学生間に、昭和二六年五月下旬頃当時の同大学教授兼補導部長森谷克己が警察関係職員と通じ、同大学内の情報を提供したとの理由で同教授に対する排斥運動が起こり、とかく警察関係職員の同大学構内立入りに対し関心を深めていた折柄、昭和二七年二月二〇日東京大学において発生したいわゆる東大ポポロ劇団事件を初め、各地の大学において学生と立入り警察官との衝突事件が続発し、これがその都度新聞紙上その他報道機関により報道され、更には、同年三月中旬頃愛知大学学生丹羽裕の同大学学生自治委員長に対する告白により、丹羽裕が昭和二六年末頃から、法務府特別審査局東海支局員後藤俊の依頼に基づき、同人に対し、当時愛知大学内において発行されていた新聞紙その他ビラ類を提供していた事実が露見し、右事実が漸次同大学教職員及び学生間にも伝えられるに伴い、警察官及び特別審査局員による大学内への立入り若しくは情報収集活動の深刻化に脅威を感じ、昭和二七年四月三日頃同大学学生自治委員会の代表として、被告人田島貞男を含む数名が当時の豊橋市警察署を訪れ、同署次席西根正文に面接のうえ、爾後、警察官が愛知大学内における情報収集の目的をもつて同大学内に立ち入ることを中止されたい旨申し入れ、同次席から、将来警察官の愛知大学内立入りにつき、慎重を期すべき旨の回答を受けたけれども、なお警察官または特別審査局員による愛知大学内立入り、その他同大学内における情報収集活動に対し警戒していた矢先、同年五月初め頃から同大学構内東南部所在の職員住宅に居住する教職員及びその家族のうちの一部の者並びに同大学学生のうち一部の者の間に、同職員住宅に居住する同大学教授若江得行方に夜毎に特別審査局員らしいスパイが潜入し、同大学内における情報を収集している旨の風評が伝播し、ひいては、その風評と同趣旨に帰着する事項を記載したビラさえ同大学構内に流布されるに及び、同大学の教職員及び学生の各一部の間に警察官または特別審査局員による前叙の如き情報収集活動に関する警戒心をいよいよ強めるに至つた。

かくて、右スパイが夜毎午前零時頃から午前四時頃までの時刻に前記若江得行方から学外に出奔する旨の情報に基づき、右時刻に前記職員住宅附近において右スパイを見張り、これを捕えたうえ、その実体を究明しようとの計画のもとに、

(イ) 被告人田島貞男は、同年五月七日午後五時頃同大学構内所在学部寮二七号室で、同大学学生宮本和彦に対し右計画を打明け、右スパイの見張りにつき協力を求め、同人の承諾を得て、同日午後一一時頃同人を伴い前記職員住宅西北に位し、同大学構内にある八番教室を含む教室一棟中東南隅の教室内に赴き、同人をして同教室内から、南側の窓越しに、右職員住宅北出入口方面を見張らせ、自らは同教室西隣りの教室内から前同北出入口方面の見張りに就き、

(ロ) 原審相被告人田畠嘉雄は、高等学校時代の友人で愛知大学に同時に入学した保正邦男と共に、同日午後九時頃前記学部寮内の一室において、高等学校一学年当時のクラス主任であり、当時愛知大学の助手であつた永田啓恭から右計画を打明けられ、スパイの見張りにつくことを承諾し、保正邦男と共に同日午後一〇時過頃から前記職員住宅の東北方に位し、同大学構内旧馬場西側に南北に亘り設置されていた生垣の北端附近に伏しながら、右職員住宅方面の見張りに就き、保正邦男は、前記時刻頃右生垣に沿い田畠嘉雄より東北方に数メートルへだてた地点において田畠同様右職員住宅方面の見張りに就き、

(ハ) 被告人二階堂憲之助は、同日午後一〇頃前記学部寮三号室に赴き、その場に居合わせた愛知大学学生大橋孝義を伴い、前記旧馬場に向け歩行中、同人に対し、右計画を打明け、前記スパイの見張りを依頼し、承諾を得て同人とともに旧馬場西側中央附近所在の窪地辺りにて右職員住宅方面の見張りに就き、

(ニ) 原審相被告人吉村久は、同日午後一〇時頃右計画に基づき、前記職員住宅北方に位し、愛知大学構内所在第一、二番教室南側の通路附近にて右職員住宅方面の見張りに就き、

(ホ) その他愛知大学学生数名(いずれも氏名不詳)も、右職員住宅附近に散在して同住宅方面の見張りに就き、いずれも前記若江得行方からスパイの出現するのを待伏せるに至つた。

(2) 内田、遠藤両巡査が、愛知大学事件当夜同大学構内において同大学学生らと遭遇した際の状況。

前記(二)の(1)の(ロ)、(ハ)のとおり旧馬場西側附近において見張りについていた田畠嘉雄、保正邦男、大橋孝義らは、いずこよりか、制服、制帽に正規の拳銃及び警棒を付けて大学構内に立ち入つていた、内田、遠藤両巡査が、旧馬場の東方から懐中電燈を照射しながら西方に向つて進行してくるのを認め、その動静を注視していたところ、その間の事情を知らない内田、遠藤両巡査は、西方に進んで旧馬場の西側に南北に亘り設置されていた柵中央部附近の出入口を通り、田畠嘉雄が伏せていた前記生垣の北端辺りに達した際、内田巡査の直ぐ背後に続き歩行していた遠藤巡査が、照射した懐中電燈の光の下に伏せていた前記田畠嘉雄の姿を発見し、内田巡査を呼びとめ、内田巡査も引き返して、その場に伏せていた田畠の姿を認め、これに不審を抱き、同人に対し、「どうしたのだ」「腹でも痛いのか」と尋ねたが、同人からは何の応答もなかつたけれども、その容貌風姿により同人が同大学学生の如く察知されたので、更に「腹が痛ければ寮の方へ連れて行つてあげようか」と尋ねたが、依然として一言の返答もなく、これに不審を深めていた折柄、居合わせた遠藤巡査が、生垣の南方に向け所携の懐中電燈を照射した途端、その場所附近になお一名の男が顔を上げ、起き上ろうとする姿を認めたので、急いでその男に接近し、事情をきこうとしたところ、突然その男は立ち上がり、西方に向け駆け出して姿を隠した。この物音で、その間の事情を察知した内田巡査は、直ちに遠藤巡査をして生垣の東側方面を探索させ、自らは生垣の西側方面を探索するつもりで、生垣の西側に設置されていた便所内を北方から南方に向け走り抜け、便所南側に出た。たまたま生垣の西側に位する前記一、二番教室附近で見張り中の原審相被告人吉村久外二、三名の学生は、意外にも制服制帽の両巡査が、突如生垣附近に現われたのを目撃して狼狽し、これを同構内の思草寮、翠嵐寮、学部寮にそれぞれ在寮中の学生に通報するため、西方に向け疾走中であつたので、内田巡査は前記便所南側に出て西方に眼をむけた途端、前記疾走中の者を目撃して追走したが、吉村久は一、二番教室内に飛び込み、その他の者も同教室西側に隠れた。同人らを見失つた内田巡査は、同教室南側附近に立ち止まり、思案中、同教室西側方面から覆面をした者を含む学生と覚しき者三名が現われ、「学園へ何故入つたか」と詰りながら、棍棒様の物で頭部を目がけて殴りかかつたため、内田巡査は所携の懐中電燈をもつてこれを受けとめ、「何をするか」と叱責したところ、一名は同教室西側を通り、北方の愛馬会事務所方面に向け、その他の者も右教室西方の前記八番教室の北側を西方に向けそれぞれ逃走したので、内田巡査は前記愛馬会事務所方面に向け逃げた者を追い、同事務所に至つた。この遠藤巡査は、前記生垣の東南側附近に赴いた際、前記一、二番教室南側方面からの物音をきき、同所に接近中、何人かの逃走する姿を認め、これを制止しようとして、警笛を吹鳴し、一、二番教室東側を通り、愛馬会事務所附近にて内田巡査と会い、同巡査とともに逃走した者の所在を探し求めたが、愛馬会事務所の島津繁造に出会つた以外に何人も発見し得なかつた。そこで、両巡査は、事態の推移に不審を抱き、前記生垣の北端附近に再び赴き、当初伏せていた田畠嘉雄から事情を尋ねようとしたが、生垣北端附近にはすでに人影はなく、再び愛馬会事務所に引き返し、更に同事務所北方の厩舎西側附近に赴いたが、これより先、見張り中の者の中で逸早く両巡査の構内立入りを察知した被告人田島貞男ら及び一、二番教室に飛び込んでいた吉村久が、同教室北側窓から室外に飛び出し、北方にある前記各寮の附近に相次いで駆けつけ、在寮学生に向い、警察官が立ち入つた旨を大声で叫び、通報したため、事情を了知した学生らの一部一〇数名が右厩舎の西、北、東の三方面から現われ、同人らと遭遇するに至り、なお、その頃、吉村久の通報により前同事情を了知した学生らが、漸次各自の寮から構内運動場に集合するに至つた。

(三) 罪となるべき事実。

被告人田島貞男は、一旦見張りの位置を離れて北方に走り、思草寮その他の寮生に警察官の立入りを知らせて引き返し、前記のように他の学生らとともに厩舎西側附近において、内田、遠藤両巡査と遭遇した際、両巡査が制服制帽であつた関係上、若江教授方に潜入していたいわゆる特別審査局員らしいスパイとは一応別人であると思料したが、当時の時局柄、制服の両巡査が深夜愛知大学構内に立ち入つたことに関し不審を抱き、「学園へ何故入つたか」と詰問し、両巡査から納得のゆく答を得ないまま、更に大学構内立入りの事由を明確にするため、これが対応措置を講じようと考え、また被告人天野拓夫、同田村哲男、同鵜飼義夫、同高井昭吾、同二階堂憲之助、原審相被告人吉村久の六名においても、それぞれその頃相前後して前同厩舎西側またはその附近に来合わせ、内田、遠藤両巡査が夜間大学構内に立ち入つたことに、いよいよ不審を深め、被告人田島貞男らと同様、右両巡査から構内立入りの真の事由を明確にするため、何らかの措置を講じようと企て、ここに被告人田島貞男、同天野拓夫、同田村哲男、同鵜飼義夫、同高井昭吾、同二階堂憲之助の六名は、吉村久をはじめ、その当時附近に居合わせた前記学生らとともに、大学の自治、学問の自由を擁護するため、この際両巡査を強いて捕え、大学構内侵入の真相を明らかにすべく、両巡査を追及し、両巡査より釈明を求めようと互に暗黙のうちに意思を相通じ、

(1)(イ) 被告人田島貞男、同二階堂憲之助の両名において、前記厩舎西側附近に居合わせた学生数名とともに、同日午後一一時三〇分過頃同所附近において、内田巡査の左右両側から同巡査の両腕をつかみ、或いは同巡査の胸倉をとるなどの方法により、同巡査に対し暴行を加えながら、同巡査を同所附近から、その西北方に位する愛知大学構内運動場中央部よりやや南寄り附近に連行し、

(ロ) その間原審相被告人吉村久は、数名の学生とともに遠藤巡査を同時刻頃内田巡査同様、前記厩舎西側附近から右運動場に連行しようとして、その場で遠藤巡査の両腕をかかえ、更に同巡査の腰部附近に手をかけたほか、前記厩舎西側附近において居合わせた氏名不詳の学生がその所携の棒切れをもつて同巡査の後頭部、肩部その他を殴打するなどの方法により、同巡査に対し、同日午後一一時四〇分頃同巡査がその場から脱出逃走するに至るまでの間、多衆の威力を示して暴行を加え、

(2) 被告人田島貞男、同二階堂憲之助、同天野拓夫、同田村哲男、同鵜飼義夫、同高井昭吾は、原審相被告人吉村久とともに内田巡査が前記のように愛知大学構内運動場中央部よりやや南より附近に連行された直後、同所において、居合わせた学生数一〇名とともに、内田巡査の身辺を取り囲み、口々に同巡査に対し、「この野郎」「お前は誰だ」「何処から学内に入つたか」「何しに学内に来たか」「不法侵入とは思わぬか」「売国奴め」「犬め」「ただでは帰さんぞ」と申向けたほか、被告人高井昭吾において、たまたま持ち合わせていた棍棒を右巡査の胸部附近に突きつけながら、同巡査に対し、「お前は何処の馬の骨だ」と申向けて同巡査の生命、身体にどのような危害を加えるかも図りがたい気勢を示し、同巡査を脅迫のうえ、被告人田島貞男、同天野拓夫両名において、同巡査の両手をその背後に回し、その両手首及び上膊部をそれぞれ所携の綿ロープ様の繩及び荒繩をもつて縛るなどの暴行を加え、同巡査の行動の自由を奪い、その面前で被告人天野拓夫において、同巡査所携の警察手帳中の記載内容を、被告人田島貞男がかざした懐中電燈の光により読上げた後、被告人田島貞男、同天野拓夫、同二階堂憲之助、吉村久において同所附近に居合わせた学生数一〇名とともに、

(イ) 同巡査を前同様縛りつけたまま同所からその北方に位する同大学構内の寮食堂内に連行し、同所において同巡査に対し「何故に学内に入つたか」と詰め寄り、

(ロ) 次いで同巡査を右食堂からその南方に位する前記翠嵐寮内の一室である文化室に連行した後、事態の推移につき憂慮していた当時の同大学教授兼補導部長玉井茂から、右巡査を至急帰署させるべきことを指示されるに及び、同巡査から当時右大学構内に不法に侵入したことを謝罪する趣旨の謝罪文その他の文書の作成交付を受け得るにおいては、同巡査を帰署させることとし、被告人田島貞男、同天野拓夫、同二階堂憲之助、同鵜飼義夫、同田村哲男、吉村久において当時同文化室内に居合わせた学生数名とともに、同所において右巡査に対し、この際、帰してもらいたければ、前同趣旨の謝罪文その他要求通りの文書を作成して、これを被告人らに交付するよう要求し、同巡査をして、事態の推移にかんがみ、この際一刻も早く同大学構内から退去するためには、右要求を容れ、謝罪文その他要求どおりの文書を作成して交付するのほかなきものと観念させて、その要求に従うことを約束させ、即刻同巡査の制縛を解いたうえ、同巡査に有り合わせの用紙一葉及び万年筆一本を手渡し、同巡査をしてその場において、これを使用して、当時同所に居合わせた学生斎藤剛が被告人田島貞男、同二階堂憲之助、吉村久らの口添により、取捨整理してなした口授の内容をそのとおりに書き取らせ、謝罪文なる表題のもとに、豊橋市警察署警ら隊巡査内田初治名義の「愛知大学全学の皆様へ」宛、昭和二七年五月八日未明附の「私今回愛大内に不法に侵入した事を深くおわび致します。今後かかる事は上官の命令といえども絶対に致しません。」という文面の書面一通を作成させ、同書面中内田初治名下にその指印を押捺させて、謝罪文と題する右文書一通(当裁判所昭和三七年押第一四号の三六の写真一葉中の該当部分に照応するもの)の作成を遂げさせ、その直後同巡査に対し、更に別の用紙一葉を手交し、同巡査をしてその場において同用紙上に、前記万年筆を使用し、右斎藤剛が前同様の方法によりなした口授の内容をその通りに書き取らせ「警察手帳とけん銃、こん棒はお宅に預けました。」という文面の書面一通を作成させ、その末尾に同巡査の指印を押捺させて、該文書一通(当裁判所昭和三七年押第一四号の三六の写真一葉中の該当部分に照応するもの)の作成を遂げさせ、同各文書をいずれも自己らに交付させたうえ、翌八日午前零時頃同巡査をして同所から自由に退去させ、

もつて、右(1)の(ロ)のとおり遠藤巡査に対し多衆の威力を示して暴行を加えたほか、右(1)の(イ)及び(2)の間、内田巡査を不法に逮捕し、かつ同巡査をして作成義務がない右各文書をそれぞれ作成交付させて義務なきことを行わせたものである。

第二証拠の標目。〈略〉

第三被告人ら及び弁護人らの法律上の主張。

所論は、要するに、被告人らは内田、遠藤両巡査の大学構内立入りにつき、後記(一)記載の如き事実を前提として、右立入りを違法行為とし、これを排除しようとしたもので、被告人らの行為には可罰性はないとし、その可罰性のない理由として、

(一) 刑法三五条の法令による行為(現行犯人逮捕行為)。

(二) 正当防衛の要件の存在。

(三) 超法規的違法性阻却事由の存在。

(四) 抵抗権の行使。

(五) 違法性ないしは故意の阻却事由の存在。

(六) 期待可能性の不存在。

を主張する。

すなわち

(一) 法令による行為。

所論の要旨は、内田、遠藤両巡査は、愛知大学事件当夜である昭和二七年五月七日夜、同大学構内所在職員住宅に潜入中の豊橋市警察署勤務私服警官二名を護衛するという不法な目的をもつて同大学構内旧馬場東側土手から、同大学管理者に無断で同大学構内に侵入したものであつて、両巡査の右所為は、刑法一三〇条の不法侵入罪を構成し、これを発見した学生らの本件所為は、まさに法令による現行犯人逮捕行為であつて、その違法性は阻却される、というのである。

しかしながら、両巡査が、所論主張の如く大学構内所在の職員住宅に情報収集のため潜入中の豊橋市警察署勤務の私服警官或いはその他のスパイを護衛する目的で立ち入つたものであること及び両名が同大学構内旧馬場東側の土手を乗り越えて無断で不法侵入したものであるとの事実は、いずれも、これを認めるに足る証拠はない。

すでに前段に認定の経過に示されたとおり、検察官主張の「両巡査は不審者を追つて北門より職務行為として構内に立ち入つた」ことを肯認すべき証拠は結局十分でないことに帰した次第であるが、さればとて、他の如何なる目的、意図による立入りであるか更に明らかでなく、また立入りの場所、立入りの態様その他の具体的条件のことごとくが未だ明らかでない以上、右立入り自体の適法か違法かも、にわかに判別しがたく、まして、このことから直ちに不法侵入の事実が証明されたとなし得べき筋合でないことはいうまでもない。してみると、現行犯人逮捕行為なりとの主張は、前示認定に徴し、未だ証明されない事実を前提とし、客観的要件を欠くものといわざるを得ないのみならず、既に認定のとおり、被告人らは、学問の自由、大学の自治を擁護するため両巡査を捕え、同人らが大学構内に立ち入つた真相を明らかにしようとして本件犯行に発展したものであつて、当初から両巡査を不法侵入の現行犯人として逮捕しようとする意図であつたものとは認められない。所論は理由がない。

(二) 正当防衛。

所論の要旨は、愛知大学内における思想動向につき、かねてより特別審査局が非常な関心をよせ、隠密のうちに活発な調査や情報収集活動が行われ、そのため愛知大学構内所在の職員住宅に出入する者があることを知つた被告人らが情報収集者の跳梁によつて学問の自由、大学の自治が脅かされ、学園の自治を危うくするものとして警戒していた矢先、内田、遠藤両巡査が制服で学内に立ち入つているのを目撃して、直ちに構内立入りの理由につき問いただしたところ、同巡査らからは何ら納得のゆく回答が得られず、そのうえ、元来本件立入は全く理不尽な不法侵入行為であつて、大学の自治を違法に侵害するものであるから、被告人らが、その際逃げようとする巡査をその場において捕え、その氏名、官職、所属警察署などを確かめ、更にはその違法立入りの実体を明らかにするため、警察手帳や拳銃を取り上げ、謝罪文を書かせたのは、これひとえに大学自治に対する侵害排除の目的に出でた正当防衛行為である、というのである。

おもうに、学問研究の自由は広くすべての国民に憲法の保障するところであるが、とりわけ大学は、学術の中心として深く、かつ広汎に真理を探求すべき専門的研究教授の場としての機能と本質から、それらの自由が一層尊重されるべきところとされ、これがため、大学の施設と学生の管理教育に関する全般に亘り大学の自主性が認められ、いわゆる大学の自治が伝統的に保障されている所以である。従つて、大学の自治は、学術の中心として、旺盛な真理探求の意欲を維持し、深く専門の学術を研究教授できるよう自由にして創造的な研究専念の雰囲気と、これにふさわしい学園的環境と条件を保持することを中心的要請とするものであつて、これと相容れない外部よりの干渉は、極力これを排除しようとする。特に権力による干渉は、学園における自由な真理探求の気風を阻害するおそれが最も大きく、やがて、それは自由な研究そのものの萎縮をもたらすに至る。そして、ここに至れば、干渉はもはや明らかに大学自治の本義にもとり、これに対する侵害となるのである。

では、如何なる警察権の学内立入りが右の意味での干渉となるか、なるほど警察権は、一面において、公権力そのものとして、学問の自由、大学自治の対立者にほかならないが、同時に警察権の行使そのものもまた、所詮は公共の秩序と福祉に奉仕すべきところのものであり、他面、また学問の自由、大学の自治といえども窮極的には、公共の福祉の合理的制約のもとにあることを当然の事理とするという意味において、両者は相互に両立すべき一面をも持つ。そして現行犯その他通常の犯罪捜査のための警察権の行使は、大学といえども治外法権ではないから、これを拒み得べき根拠はない。但し、犯罪捜査のためといえども、学内立入りの必要性の有無は、これ警察側の一方的(主観的)認定に委ねられるとすれば、やがて、その面から実質的に大学の自主性がそこなわれるに至るおそれが出てくる。そこで、緊急その他己むことを得ない事由ある場合を除き、大学内への警察官の立入りは、警察官の発する令状による場合は別として、一応大学側の許諾または了解のもとに行うことを原則とすべきである。ここに両者の調和を見出し、警察権行使の大学自治への干渉にわたらない限界を画することができると考えられるのである。右のように、原則として警察官の学内立入りは、大学側の許諾了解のもとに行うべきであるが、しかし、許諾なき立入りは、必ずしもすべて違法とは限らない。結局、学問の自由、大学の自治にとつて、警察権の行使が干渉と認められるのは、それが、当初より大学当局側の許諾了解を予想し得ない場合、特に警備情報活動としての学内立入りの如き場合ということになる。

さて、本件両巡査の大学構内立入りはどうか。少なくとも、本件立入りにつき、大学当局側の許諾了解があつたことの証拠はない。しかし、すでに認定の経過に示された判断のとおり、両巡査の学内立入りが、検察官主張の如く、いわゆる不審者の逃げるのを追つて職務質問のため同大学北門より立ち入つたとすべき証拠は十分でないことに帰したが、さればとて、弁護人主張の如く構内職員住宅に潜入中のスパイを護衛する目的であつたとすべき立証もなく、更には、両巡査が構内東南隅の土手より侵入したとすべき証拠も存在しない。結局、両巡査の立入りの意図、目的については、全くこれを明らかにすることができず、また立入りの場所、態様なども明らかでないのであるから、その立入りが、大学当局の許諾了解を予想し得ないものであつたかどうか判断し得ないのみならず、本件のように、両巡査が単に大学構内を歩いていたという一事をもつて、通常直ちに大学の学問の自由、自治を侵害するものとはいえず、結局侵害の現在性及び急迫性につき、何らこれを認むべき証拠がないことに帰する。

してみると、右立入りをもつて、学問研究の自由、大学の自治に対する急迫不正の侵害ありとなし得ないこと明らかであるというべく、この一点のみよりして、もはや正当防衛事由成立の要件を欠くこと明白であるから、被告人らの本件所為が、学問研究の自由、大学の自治擁護のため、その侵害排除の意図に出たものであつたとしても、(この点の判断は、後記第四の誤想防衛についての当裁判所の判断の項にゆずる。)本件につき正当防衛をもつて論ずる余地はない。

(三) 超法規的違法阻却事由の存在。

所論の要旨は、刑法上違法阻却事由として明定されている場合以外にも、実質的違法性がなく、違法性を阻却される場合があり得る。本件における被告人らは、内田、遠藤両巡査が愛知大学構内に不法に侵入した事実を明らかにして、大学の自治、学問の自由を守ろうと考え、法定の手続による救済を求める暇なく、自ら右両巡査の違法行為を摘発し、憲法の保障する学問の自由を侵す両巡査の不法な行動を追及し、詰問したのであつて、その間被告人らに多少の行き過ぎがあつたとしても、被告人らが守ろうとした大学の自治、学問の自由は、国家的、国民的に重大な法益であつて、被告人らの行動により侵害されたとする法益に比し、遙かに重要であり、その侵害排除行為の手段方法に徴しても、前者はこれと適当な比例を保つて相当優越することが認められる。しかも、本件警察側の愛知大学における自治に対する侵害が、相当具体的、積極的であつて、確実に切迫していたことも明らかであるから、急迫性の要件も十分に具備されているので、被告人らの本件所為は、超法規的違法阻却事由に該当し、罪とならない、というのである。

おもうに、違法性の内容を実質的に考えると、所詮、それは現存の実定法秩序の理念に反することに帰するものというべく、刑法上構成要件に該当する行為が刑法三五条前段の法令による行為及び同法三六条(正当防衛)、三七条(緊急避難)の各要件に合致しない場合であつても、刑法三五条の趣旨に照らし、正当行為とせられる場合の存することは、これを認めざるを得ない。そして、これを肯定すべき判断基準としては、当該行為により達成しようとした目的の正当性、目的達成のための手段方法の相当性及び補充性の有無、当該行為により保護される法益と侵害される法益との均衡の諸点に徴し、これらを考量してなお、全体としての法秩序の理念に反しないということのできる事態の存在することを要する。

これを本件についてみると、すでに認定のとおりの、被告人らと両巡査との遭遇した際における彼我の状況及びこれに対する被告人らと両巡査双方の態度並びに行動に徴すると、超法規的違法阻却事由の存在を肯定すべき前提基準中、その動機、目的においては、一応これを首肯し得るとしても、被告人らの現実に行つた所為についてみると、当時の状況、特に両巡査の態度に徴し、前示目的に照らし、その達成のためとるべき手段としては、明らかに行き過ぎであり、その目的にふさわしいものとはいえず、また他にとるべき方法がなかつたともいえず、到底社会的に相当として是認しがたい。

してみると、法秩序全体の理念に照らし、もはやその他の前提要件の有無の判断に立ち入るまでもなく、超法規的に違法性を阻却すべき事由の存在はこれを肯定し得ないこと明らかであるから、右主張も理由がない。

(四) 抵抗権の行使。

所論の要旨は、現行憲法による民主主義的基本秩序に対し、官憲による重大な侵害が行われ、憲法の存在自体が否認されようとする場合、一般民衆による抵抗権が認められる。本件における被告人らの所為は、内田、遠藤両巡査が愛知大学構内に不法に侵入し、憲法の保障する学問の自由を不法に侵害したため、これに対し己むを得ずしてとられた抵抗にほかならない。この点からも、本件被告人らの所為は違法性を有しない、というのである。

しかしながら、内田、遠藤両巡査の愛知大学構内への立入りが、所論主張の如き学内に潜入中の情報収集者の護衛のためのものであつたと認むべき証拠はなく、その事実関係は、右立入りにつき、すでに認定した経過のとおりであつて、これをもつて、直ちに憲法の保障する学問研究の自由を不法に侵害したものとは断定し得ず、況や、憲法の存在自体を否認するものともいい得ないこともちろんであつて、論旨は前示認定と異る前提に立つ独自の見解というのほかなく、採るを得ない。

(五) 違法性ないしは故意の阻却事由の存在。

所論の要旨は、仮に内田、遠藤両巡査の構内立入りが、職務行為としてなされたものであつても、被告人ら学生側としては、あくまで当時両巡査は不法な目的で旧馬場東側の土手から侵入したもので、大学における学問の自由、大学の自治を侵害するものと確信し、右侵害排除の目的で本件所為に出たものであるから、これを法律的にみれば、違法性を阻却するか、故意を阻却するか、いずれにしても、犯罪を構成しない、というのであるが、この点は、当裁判所が後記第四において示す見解により自ずから明らかとなるので、同説示にゆずる。

(六) 期待可能性の不存在。

所論の要旨は、内田、遠藤両巡査が愛知大学構内に立ち入つたことにつき、これを目撃した同大学学生らが、法の手続による救済を待つことなく、自らの手で内田、遠藤両巡査の右違法を糺したことは、むしろ当然であつて、かかる時期、しかも、当時の社会的情勢と事件当夜の緊迫した状況下において、本件被告人ら及びその他の学生らに本件以外の行動に出ることを期待し得る可能性は全くなかつた、というのである。

しかし、すでに前段に認定したとおりの本件被告人らが内田、遠藤両巡査に遭遇するに至るまでの状況、両巡査と遭遇した際の双方の態度と行動並びに本件所為に至る経過などに照らし、本件各所為を仔細に勘案すると、当時の情況上被告人らに対し、本件所為以外の行動に出ることを全く期待し得なかつたものとすべき事由の存在は、到底考えられない。右主張も理由がない。

第四当裁判所の見解

愛知大学事件発生当時における同大学内の状況については、すでに認定の如く、その当時同大学内において、警察関係職員或いは特別審査局員により同大学内における情報収集活動が行われており、右事実若しくは、これから派生して前記住宅に居住する教授若江得行方に夜毎に特別審査局員らしいスパイが潜入し、しきりに同大学内の情報収集をしている旨の風評及びこれと同趣旨のビラが拡がり、同大学の教職員及び学生の各一部の間に、警察官または特別審査局員による前記情報収集活動に関する警戒心と不安をつのらせ、このまま放置すれば学園本来の自治が危殆に瀕しつつあるとの危機感が醸成されるに至つた結果、学生らにおいて、同大学内の情報収集を目的として同大学に潜入するスパイに対する見張りにつくに至つた。右の如き状況において、見張り中の学生らと内田、遠藤両巡査との遭遇が起こつたもので、その状況並びに事態の推移の詳細についてはすでに認定したとおりであるが、両巡査の右立入りについては、その目的や意図、立入りの場所、態様も証拠上明らかでないので、右立入り自体によつても、直ちに大学の学問の自由、大学の自治に対する急迫不正の侵害ありとは認めがたいこと、前段(二)(正当防衛)の項において説示したとおりであつて、その点において正当防衛行為としての要件を欠くこと明らかであるが、一方、見張りについていた被告人らはじめ、学生の側としては、前示状況下において情報収集者の暗躍跳梁により、同大学の学問の自由、大学の自治が脅かされ、危殆に瀕しつつあるとの危機感を抱いていた折柄、深夜制服制帽の両巡査が立ち入つているのを目撃して、一応は見張りの対象たるスパイとは別人であると考えたが、その立入りの理由に強い不審を抱き、両巡査にこれを執拗に詰問したが、何ら納得すべき答を得なかつたので、その態度に益々疑惑を深め、潜入中のスパイの護衛か、またはこれと何らかの連絡のため立ち入つたスパイの一味の者と思い込み、急迫不正の侵害ありと誤信し、学問の自由大学の自治を防衛保全するため、その場において、両巡査を捕え、機を逸せず右立入りの真相を究明するのでなければ、右侵害排除の目的を達し得ないものと考え、前認定の所為に出たものであつて、右侵害排除のため己むことを得ざるに出た誤想防衛行為と認められる。

そして、愛知大学の学生として、日常同大学内に起居し、或いは通学して大学の研究教育施設並びに大学の自治を享有しつつある被告人らとしては、事実上同大学における学問の自由、大学の自治の消長に利害関係と重大な関心を有することは当然であつて、被告人らの右所為は、誤想による防衛行為としてではあるが、自己または他人の権利を防衛するため己むことを得ざるに出たものと認められ、防衛行為として成立する。(この際、防衛行為の主体と自治の担い手とが必ずしも一致する必要はないから、学生にとつて、それ自体公益性を有する法益たる大学の自治が自己の権利か他人の権利かの問題、それは結局、大学自治享有の関係につき、厳密にいえば、学生自体大学自治を主張する固有の権能を有するものと見るべきか、或いは大学の教授その他の研究者のそれの反射的効果の帰属にすぎないものであるか、更には、そもそも学生は大学の構成員と見るべきかどうかの問題にまでさかのぼるのであるが、これらの問題は、さしあたつてここで深く立ち入る要を認めない。)従つて、被告人らの誤信する急迫不正の侵害に対し、その防衛行為が相当性をもつ限りにおいて故意を阻却するのである。

そこで、次に、その防衛行為の目的に照らし、その手段方法において果して防衛の程度を超えないものかどうか、その相当性につき考察する。すなわち、被告人らの前示罪となるべき事実の項に認定の所為中、

(A) 被告人らが、いずれも判示学生とともに判示の如く意思を相通じ、その当初被告人田島貞男、同二階堂憲之助の両名において、判示厩舎西側附近に居合わせた学生数名とともに、内田巡査の左右からその両腕をつかみ、或いは胸倉をとらえ、同所から判示運動場中央部やや南寄り附近に連行し、その場に居合わせた学生数一〇名とともに内田巡査の身辺を取り囲み、口々に「この野郎」「お前は誰だ」「何処から学内に入つたか」「不法侵入とは思わぬか」「ただでは帰さんぞ」などと申向けた点、

(B) その間原審相被告人吉村久において、遠藤巡査を判示厩舎西側附近から右運動場に連行しようとして同巡査の両腕をかかえ、更に同巡査の腰部附近に手をかけた点、

右(A)及び(B)の範囲の行為は、すでに認定の如き状況に徴し、これによつて両巡査の身体に多少の物理的力が加えられ、また言語にやや粗暴な点があつたとしても、その程度の法益侵害は、行為がその範囲に止まる限り、前記目的に比し誤想による防衛行為として相当であつて、その程度を超えないものと認められるが、右(A)、(B)の各点を除くその余の行為に至つては、明らかにその程度を超えており、もはや相当といえないものであるから、被告人らは、それらの所為全体(右(A)、(B)の点をも含めて)が防衛の程度を超えた過剰行為として、その責任を免れない。

第五法令の適用。

被告人天野拓夫、同田島貞男、同田村哲男、同鵜飼義夫、同高井昭吾、同二階堂憲之助の判示各所為中、判示遠藤巡査に対する暴行の点は、昭和三九年法律第一一四号暴力行為等処罰に関する法律等の一部を改正する法律附則二項により、改正前の暴力行為等処罰に関する法律一条一項、罰金等臨時措置法三条一項二号、刑法六〇条に、判示内田巡査を不法に逮捕した点は、刑法二二〇条一項、六〇条に、判示内田巡査をして作成義務なき判示各文書をそれぞれ作成させた点は判示各文書毎に同法二二三条一項、六〇条に該当し、判示内田巡査に対する不法逮捕と義務なき判示各文書を作成させた所為とは、一個の行為で数個の罪名に触れる場合であつて、同所為についても、また判示遠藤巡査に対する暴力行為等処罰に関する法律違反の所為についても、それぞれ誤想防衛の過剰行為としての責任を問うべきところ、誤想防衛に関しても、その防衛の程度を超えた意味において相当性を欠くに至つたため故意が阻却されない場合においては、刑法三六条二項に準拠して処断すべきものと解するを相当とする。

そこで、被告人らの情状につき考察する。被告人らの本件所為に及んだ動機、目的は、先に詳細に認定したとおりであること、内田、遠藤両巡査の愛知大学構内立入りの理由、目的は結局明らかでないけれども、少なくとも大学当局の許諾または了解なしに立ち入つたものであること、学生らに立入りの理由を執拗に問い糺されながら何ら明確な回答を与えなかつたこと、その他両巡査の側にもその態度などに落度または不用意とすべき点がないではないこと、判示認定にも明らかな如く、被告人ら以外にも相当員数の者が本件に関与しているに拘わらず起訴を免れていること、本件は、被告人らが大学生として在学中の事件であるが、すでに事件後一八年の歳月を経過し、その間各被告人とも社会人としてそれぞれ安定した生活と地歩を築いていることなど諸般の情状、特に、事件後今日に至る時代の推移を勘案すると、本件につき、今更刑を科する要を認めないから、刑法三六条二項、刑訴法三三四条に則り、被告人らに対し、刑を免除することとする。

なお、被告人天野拓夫、同田島貞男、同田村哲男、同鵜飼義夫、同高井昭吾、同二階堂憲之助に対する本件公訴事実中、内田、遠藤両巡査に対する公務執行妨害の点は、犯罪の成立が認められないこと叙上のとおりであるが、その点は、被告人らに対する判示認定の罪と一所為数法の関係にあるものとして公判に付せられたものであるから、この点につき特に主文において無罪の言渡しをしない。また、被告人天野拓夫、同田島貞男、同田村哲男、同鵜飼義夫、同高井昭吾、同二階堂憲之助に対する本件公訴事実中、右被告人らが内田巡査に対し多衆の威力を示して暴行脅迫を加えたことをもつて、前記改正前の暴力行為等処罰に関する法律一条一項違反に該当するという点については、被告人らの右暴行脅迫の所為は、内田巡査に対する不法逮捕罪及び強要罪の手段としてなされたものと認むべきであつて、結局右各犯罪に包含され、別罪を構成しないものと解するを相当とするが、これまた右被告人らの内田巡査に対する判示認定の罪と一所為数法の関係にあるものとして公判に付せられたものであるから、特に主文において無罪の言渡しをしない。

次に、被告人星川文次、同金洛賢の関係において生じた当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但書を適用して、同被告人に負担させないこととする。

以上の理由により、主文のとおり判決する。(小淵連 村上悦雄 西村哲夫)

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